2015/10/19

第23回 2015/10/17.18 イクサポワークショップ報告 大川

2015年10月17日 早朝に雨の都心を抜けて、東北道を一路、石巻へ。

道すがら、山肌が削り取られた山を2−3ヶ所は目にした。
復興の為の材料となっているのだろうか。

雲一つ無い石巻に到着。

静かな土曜の昼下がり、

三反走仮設住宅の皆さんは、集会所に何人来てくれるかな。

本日のワークショップ開運だるま作り。

午後2時前、ぞくぞくと皆さんがやって来た!

 たくさんの皆さん。用意した席は満席。さあ、ワークショップ開始です。

真っ白なだるまさんを見て、どうしよかと、あれこれ考える参加者の皆さん。

ここにくれば、みんなと楽しくお話しできるからと参加してくれたおばあさんも。

赤いだるまさんに決めて、さあ、塗り始めます。

僕たちも、素敵な下書きを完成させて、イメージを膨らませて、いざ、塗り始めます。

みなさん、塗り始めるとすごい集中力。

はみ出してはならないと、無言で真剣にだるま塗りに取り組みます。

子どもも、大人も、混じり、

みんなで作り上げた「オリジナル 開運だるまさん」

ドラえもんが大人気。

幸運が団体でやってきますね。

お家にドラえもんだるまさんが居るだけで、

ポケットから、いろいろな願いを叶えてくれそうですね。

始めは上手く書けないからと、手が動かなかったお母さん

いつの間にか素敵な出来上がり。

2個、3個とご自慢のだるまさんと記念撮影。

終了後はみんなでお茶っこタイム。
だるまさんも、ニコニコでお茶っこタイム。

「ここに来るとみんながいて楽しいから」と嬉しい言葉を頂き、
今までのイクサポが、根付いて来たことを改めて感じました。

片付けも終わり、夕日が傾き始めた頃。

田んぼは秋色に色づき。ふと、新しい護岸の出来上がりに気がつきました。

橋の周辺の工事も進んでいる様子。

夕日に照らされていた大川小学校。やっとここにお参りに来る事が出来ました。

止まっている時間。だけど、ずっと心に思っていた時間。一緒に寄り添って歩んでいます。

今日来てくれたみなさんに、感謝。

お世話になった皆さんに感謝です。これからも。

綺麗な夕日が、長かった今日一日の事柄に、

お疲れさまと言ってくれているよう。

全てを終えて、山道をごとごとと、その先にあったのは、追分温泉。

ここも時間が止まっているのかと思いきや、ここは時間がたくさん重なって、長い歴史が連なっている所でした。

お風呂でお会いしたグループは、震災後からコンサートを続けているボランティアの方々でした。

いろんな出会いのあった石巻。

18日朝の霧の中の景色は、さよならと言っている水彩画。

またね、待ってますよ。また来ますね。

一緒に楽しい時を重ねていきましょう。
(サポサポスタッフ M・S)

2015/10/04

第22回 2015/9/26.27 イクサポワークショップ報告

第22回目となるイクサポは、9月26、27日に秋の気配を感じながらの東北となりました。今回は『ふんばろう緑でつながるプロジェクト』さんと『苔玉ワークショップ』を二日にわたり二か所で開催してきました。

初日の目的地に向けて、3月に全線開通した常磐道を北上しました。常磐道を進むと放射線量を表示する線量計が所々に設置されています。線量の高いエリアではオートバイでは走れません。この日の常磐道の最高線量は4.5μシーベルト/h、ちょうど福島第一原発のある地域です。常磐道は避難指示解除地域、帰還困難区域、準備宿泊対象地域、そのほかの避難指示区域を通過しながら北上します。その地域にともなって車窓の風景が変わります。人の生活感がなく緑にあふれた景色、今まさにピンクののぼりが立ち除染が行われている景色、そして除染廃棄物が並ぶ景色と福島の現状を見ることが出来ます。



初日の目的地は宮城県亘理群山元町でした。
最初にお邪魔したのは、山元町にあるお弁当屋、きく邑さん。こちらは震災直後にボランティアさんのために始めたお弁当屋さんだそうです。「ふんばろう緑でつながるプロジェクト」さんがお店の周りに花を植えたご縁で、今回のワークショップが開催されることになりました。


山元町には震災当時の記憶を忘れないために、個人の方が作った写真館があり、訪れることが出来ました。そこにはかつての町の風景、行事などの写真があり、またそのすべてが津波によって流されてしまった事実を目の当たりにすることが出来ます。時が経つと共に風化していく記憶をこの写真館は大切に守っていました。


宮城県亘理群山元町は福島県相馬市と隣接する町です。山元町にある『普門寺』が初日の会場となりました。海岸から500mにある普門寺のご住職、坂野文俊さんも震災の被害にあいながら、震災直後からボランティアの受け入れとして『おてら災害ボランティアセンター』(通称テラセン)を立ち上げ、震災後のお寺と地域の復興のために今も頑張っています。そんな地域の皆さんが集まる『場』にて、一役かうことが出来ました。この日は苔玉ワークショップのほかに、陶土による人形つくりや今も仮設住宅にお住まいの地元の方が弾き語りをしていたりと、多くの人が集まっていました。

そして、いよいよ『苔玉ワークショップ』が始まります。今回は生きた苔を使います。植物はコナラ、ハゼ、ワイヤープランツ、ツルヒメソバを選んでみました。コナラ、ハゼはこれから紅葉し、ヒメツルソバはピンクの花を咲かせます。ワイヤープランツも花が咲き、実がなり、種が出来ます。毎回のことなんですが、皆さん気持ちが先走って、話を聞くか聞かないうちにやり始めてしまうので、「よく聞いてください!」と、念押しします(笑)。今回は17名の方々が参加して頂きました。苔を土に張り付けていくのが難しいところはありましたが、皆さん根気よく素敵な苔玉を作って頂きました。

ワークショップの後に、ご住職の震災後から今に至るまでの気持ちやお寺の再建で様々な方々の協力があったというお話や、復興への思いを聞きました。お話を聞いて、ご住職の板野さんの人柄があっての今のテラセンがあるのだと感じました。


二日目の会場は、サポサポ12の支援先『スマイルかづま学習支援ふんばるんば』の西村しげさんのご自宅です。津波の被害を受けながら、ご自宅を改修し一角を教室につくり直し、地域の子供たちの学習支援の場、地域の皆さんが気兼ねなく集まる場をつくったそうです。また敷地内に駄菓子屋さんも併設して、駄菓子を介して子供たちと日々格闘されているそうです。まさに秋晴れというお天気にも恵まれ、20名の皆さんにご参加していただきました。

ワークショップの開催まで時間があったので、会場の向かいの空き地で、いわゆる雑草といわれる植物(ツユクサ、エノコログサ)を摘んで苔玉にしてみました。その日は除草の日でワークショップの後には刈られていました。こちかも西村さんの人柄によって集まる皆さんがつくる、和気あいあいとした雰囲気で楽しいワークショップとなりました。

ワークショップ後に西村さんの手作りの蒸しパン、おしんこを頂きながら、震災当時の話から地域の子供たちへの思いを聞かせていただきました。
今回、サポサポの支援先に足を運ぶことが出来て皆さんにお会いできて、これからも支援を続けていけたらと思う訪問となりました。


ワークショップを終え、日和山公園に行きました。個人的には何度か訪れている石巻ですが、日和山公園は初めて来ました。高台から見た景色は、震災のあの日を想像しがたいほど、とても穏やかで美しい光景が広がっていました。


旅の最後に名取市閖上地区を訪れました。
閖上地区は震災当時4000名ほどの方々がいて、そのうち800名もの方々が犠牲になったそうです。現在も現地で再建か内陸移転かで今も揺れ動いているそうです。神社のある高台からは空き地の続く光景が広がり、ぽつんと一つの建物と空に向かって立つ慰霊碑が、津波の爪あとを物語っていました。それでも現在、閖上の一角に「ゆりあげ港朝市」が開かれ、日曜・祝日の朝には数千人の人たちが集まってくるそうです。


今回は秋晴れに恵まれた東北の旅になりました。ワークショップの会場で地域の中心となって復興に向かう板野文俊さん、西村しげさんにお会いすることができました。そして37名の方々にもお会いできて、楽しいワークショップが開催できたと思います。ありがとうございました。皆さんに作って頂いた苔玉が、日々の暮らしの潤いになりますように。

(サポサポスタッフ m.k)

2015/09/05

第21回 2015/8/23.24 イクサポワークショップ報告 大川

    こんにちは。イクサポ第21回目の今回は、宮城県石巻市の三反走仮設住宅にやってまいりました。メンバーは陶芸家の3名とあわせて、全8名です。      
                
早朝6:40に都内各所に集合してから、
二台は羽生サービスエリアにて無事合流しました。

国見で休憩。車に乗るメンバーを入れ替えます。

午後1時には予定通り上品の郷に到着。
逃した鯖ラーメンを皆それぞれに心に描きつつ昼食。

陶芸家達が入念に準備してきた道具を出して並べます。

今回のプロジェクト担当者、斉藤リーダーによるガイダンス後、
イクサポ第21回目ワークショップ「巻いて作ろうマイカップ」が始まりました!
陶芸のワークショップは、イクサポプロジェクトでは初めての試みです。

かおる先生の指示に従って、作業をすすめていきます。

それぞれの使用目的に合ったサイズの型を選びます。

「どべ」をしっかりつけて、板状の粘土をくっつけます。

形になってきました。

底板もはりつけて、くっついたら、余分を切り取ります。

製作中は、スタッフが回っていて、必要があればその都度サポートしています。

底板と側面を指で馴染ませます。この作業を怠ると水漏れが生じてしまいます。

取っ手のデザインは使い勝手を左右する重要な部分。

思い通りの形になりますように。
完成するとこういう素敵なマイカップになります。
お金では買えない、世界に一つのマイカップ。


最後に集合写真パチリ。

お茶っこも、盛り上がります。
話題は制作中の面白かったところやむずかしかったところ、
出来上がったカップは何に使うか、以前に作ったことのあるもの、など。
皆、無心になって何かを作った後の感動を話して伝え合っていました。


陶芸家の先生達3人による、軽い手直し。
これで、全部のカップがちゃんと使える飲み口になりました。

カップ達は翌日の朝まで乾燥させます。

片付けが終わると、上品の郷で温泉。
その後、石巻駅前で夕食をとりました。
23時に帰宿。おやすみなさい。

一夜あけて、二日目。三反走仮設の集会所を出発前に清掃。
よく見ると、壁には4年経った今でも、不明者の捜索願いのポスターや、多くの方からの応援や、祈りの言葉が掲示されていました。







4年前は満室だったという三反走仮設も、いまでは空きが出てきているそうです。
さみしいけれども、よいことですね。

仮設とはいっても愛しい我が家。植物が植えられています。

曇天の朝と、さわやかな斉藤リーダー

今日も一日長くなりそう。上品の郷で軽く朝食を。

 上品の郷(道の駅)でみつけた震災についての冊子の津波防災対策についてのページをめくりました。これから訪れる釜谷地区では、全体の人口の39%の人々が津波によって帰らぬ人となったそうです。この地域は内陸にあり、津波がくるとは想定されていなかったため、また海への視界も前にある高台に妨げられていたため、安全な場所に避難する前に川をさかのぼってきた津波に巻き込まれてしまいました。この地区の石巻市立大川小学校では7割にあたる生徒達が亡くなりました。裏山がすぐ近くにあったにもかかわらず、大津波が来ていることは、防波堤の決壊の瞬間まで気がつかれず、多くの人々が突然の波に飲み込まれました。大川小学校の悲劇は、波力によりねじ曲げられた鉄筋コンクリートの校舎の遺構に刻み込まれ、今もなお、その地を訪れる皆の心を強く揺さぶり続けます。


大川小学校跡地に着くと、すぐに皆で碑に花と祈りを捧げました。
碑には、震災前の大川小学校の写真がありました。

当時、大川小学校の周辺には、たくさんの民家が立ち並んでいました。

裏山への登りやすい道がある場所を説明してもらっています。

校庭を駆け回る子供達が目に見えるような気がして、悔しいような気持ちが湧き起こりました。

草地には、まだ瓦礫の名残が残っています。

重機が通った跡が、水たまりになっていました。

校舎は4年前の311日から時を止めてしまったかのように、静かな存在感を放ちながら佇んでいます。
だけど確実に時間は進んでいます。
この後すぐに、大川小学校の数少ない生存者で証言者でもある、
当時小学5年生の只野君のお父様に偶然にお会いしました。
只野君は今年で高校一年生になりました。

決壊した堤防、河原の周辺は着々と工事中です。

5分程車に乗って、追波湾(宮城県石巻市長面)仮設道路工事の現場に移動しました
波打ち際に道路を再建しようとしています。
見学していると、工事現場のおじさんが話をしに来てくれました。

この辺りには砂浜は全くなかったんだけどね、とおじさんはいいます。

驚きなのは、七ヶ浜町の海岸で震災後から自生するようになったというオカヒジキが
ここ、長面にも生えていたことです。

砂の地面からはえているこの「きのこ」もきっといままではここに生えることのなかったものでしょう。

次に辿り着いたのはパンセ。塩バターパンが絶品!
写真はやなへいさんの大好物、ずんだパン。
感傷的になった心にほっこりとしたバターの風味が染みわたります。

それから、松島にて、お昼ご飯。
女将のおまかせ定食。ボリューム満点。

海鮮丼、肉厚の鰹とブリとサーモン、漁師風。

昼食後、たからやの前で集合写真パチリ

そして忘れてはいけないのが「おのくん」との出会い。
宮城県東松島市小野駅前応急仮設住宅にて。
「おのくん」になりたい靴下も箱の中にたくさん待機していました。

非売品の「おのくん」達。

最後に美しい松島の景勝地にて。
今回は楽しい仲間と一緒に来れてほんとうによかったです。

辛い現実ですが、まっすぐに見据えることができました。


多くの生活と命を跡形も無く流し去った大津波。その爪痕が震災4年5ヶ月経った今もそこかしこに残る石巻市でした。大川小学校の現場からは、的確な判断力と引率力があったら多くの命が救えたことがうかがえました。多くの命が瞬時に断たれたその土地に身を置いていると、実は死んでいる状態が普通で、生きている状態の方が稀なのではないか、という気がしてきます。いつかこの体から魂が離れてしまう前に、私も、思い通りに動くうちに、身体を動かさねばと改めて思いました。特にこの震災について今、出来ることといえば、大川小学校跡地に身を置いて感じたこの強い臨場感を皆に伝えることです。今の私にできることは、「皆さんもこの地に立ってみてください」と正直な気持ちでお願いすることです。津波や様々な災害の恐ろしさが言葉にはならないメッセージで伝わってきます。そして、被災者の皆様には、残された人やものを大切にして粘り強く生き抜いていていって欲しいという願いがあります。その姿に寄り添えるよう、ささやかながらも祈りと応援を続けていきたいと思いました。



(執筆担当 菅野・ 写真はおおちゃんと皆です。)