2015/09/05

第21回 2015/8/23.24 イクサポワークショップ報告 大川

    こんにちは。イクサポ第21回目の今回は、宮城県石巻市の三反走仮設住宅にやってまいりました。メンバーは陶芸家の3名とあわせて、全8名です。      
                
早朝6:40に都内各所に集合してから、
二台は羽生サービスエリアにて無事合流しました。

国見で休憩。車に乗るメンバーを入れ替えます。

午後1時には予定通り上品の郷に到着。
逃した鯖ラーメンを皆それぞれに心に描きつつ昼食。

陶芸家達が入念に準備してきた道具を出して並べます。

今回のプロジェクト担当者、斉藤リーダーによるガイダンス後、
イクサポ第21回目ワークショップ「巻いて作ろうマイカップ」が始まりました!
陶芸のワークショップは、イクサポプロジェクトでは初めての試みです。

かおる先生の指示に従って、作業をすすめていきます。

それぞれの使用目的に合ったサイズの型を選びます。

「どべ」をしっかりつけて、板状の粘土をくっつけます。

形になってきました。

底板もはりつけて、くっついたら、余分を切り取ります。

製作中は、スタッフが回っていて、必要があればその都度サポートしています。

底板と側面を指で馴染ませます。この作業を怠ると水漏れが生じてしまいます。

取っ手のデザインは使い勝手を左右する重要な部分。

思い通りの形になりますように。
完成するとこういう素敵なマイカップになります。
お金では買えない、世界に一つのマイカップ。


最後に集合写真パチリ。

お茶っこも、盛り上がります。
話題は制作中の面白かったところやむずかしかったところ、
出来上がったカップは何に使うか、以前に作ったことのあるもの、など。
皆、無心になって何かを作った後の感動を話して伝え合っていました。


陶芸家の先生達3人による、軽い手直し。
これで、全部のカップがちゃんと使える飲み口になりました。

カップ達は翌日の朝まで乾燥させます。

片付けが終わると、上品の郷で温泉。
その後、石巻駅前で夕食をとりました。
23時に帰宿。おやすみなさい。

一夜あけて、二日目。三反走仮設の集会所を出発前に清掃。
よく見ると、壁には4年経った今でも、不明者の捜索願いのポスターや、多くの方からの応援や、祈りの言葉が掲示されていました。







4年前は満室だったという三反走仮設も、いまでは空きが出てきているそうです。
さみしいけれども、よいことですね。

仮設とはいっても愛しい我が家。植物が植えられています。

曇天の朝と、さわやかな斉藤リーダー

今日も一日長くなりそう。上品の郷で軽く朝食を。

 上品の郷(道の駅)でみつけた震災についての冊子の津波防災対策についてのページをめくりました。これから訪れる釜谷地区では、全体の人口の39%の人々が津波によって帰らぬ人となったそうです。この地域は内陸にあり、津波がくるとは想定されていなかったため、また海への視界も前にある高台に妨げられていたため、安全な場所に避難する前に川をさかのぼってきた津波に巻き込まれてしまいました。この地区の石巻市立大川小学校では7割にあたる生徒達が亡くなりました。裏山がすぐ近くにあったにもかかわらず、大津波が来ていることは、防波堤の決壊の瞬間まで気がつかれず、多くの人々が突然の波に飲み込まれました。大川小学校の悲劇は、波力によりねじ曲げられた鉄筋コンクリートの校舎の遺構に刻み込まれ、今もなお、その地を訪れる皆の心を強く揺さぶり続けます。


大川小学校跡地に着くと、すぐに皆で碑に花と祈りを捧げました。
碑には、震災前の大川小学校の写真がありました。

当時、大川小学校の周辺には、たくさんの民家が立ち並んでいました。

裏山への登りやすい道がある場所を説明してもらっています。

校庭を駆け回る子供達が目に見えるような気がして、悔しいような気持ちが湧き起こりました。

草地には、まだ瓦礫の名残が残っています。

重機が通った跡が、水たまりになっていました。

校舎は4年前の311日から時を止めてしまったかのように、静かな存在感を放ちながら佇んでいます。
だけど確実に時間は進んでいます。
この後すぐに、大川小学校の数少ない生存者で証言者でもある、
当時小学5年生の只野君のお父様に偶然にお会いしました。
只野君は今年で高校一年生になりました。

決壊した堤防、河原の周辺は着々と工事中です。

5分程車に乗って、追波湾(宮城県石巻市長面)仮設道路工事の現場に移動しました
波打ち際に道路を再建しようとしています。
見学していると、工事現場のおじさんが話をしに来てくれました。

この辺りには砂浜は全くなかったんだけどね、とおじさんはいいます。

驚きなのは、七ヶ浜町の海岸で震災後から自生するようになったというオカヒジキが
ここ、長面にも生えていたことです。

砂の地面からはえているこの「きのこ」もきっといままではここに生えることのなかったものでしょう。

次に辿り着いたのはパンセ。塩バターパンが絶品!
写真はやなへいさんの大好物、ずんだパン。
感傷的になった心にほっこりとしたバターの風味が染みわたります。

それから、松島にて、お昼ご飯。
女将のおまかせ定食。ボリューム満点。

海鮮丼、肉厚の鰹とブリとサーモン、漁師風。

昼食後、たからやの前で集合写真パチリ

そして忘れてはいけないのが「おのくん」との出会い。
宮城県東松島市小野駅前応急仮設住宅にて。
「おのくん」になりたい靴下も箱の中にたくさん待機していました。

非売品の「おのくん」達。

最後に美しい松島の景勝地にて。
今回は楽しい仲間と一緒に来れてほんとうによかったです。

辛い現実ですが、まっすぐに見据えることができました。


多くの生活と命を跡形も無く流し去った大津波。その爪痕が震災4年5ヶ月経った今もそこかしこに残る石巻市でした。大川小学校の現場からは、的確な判断力と引率力があったら多くの命が救えたことがうかがえました。多くの命が瞬時に断たれたその土地に身を置いていると、実は死んでいる状態が普通で、生きている状態の方が稀なのではないか、という気がしてきます。いつかこの体から魂が離れてしまう前に、私も、思い通りに動くうちに、身体を動かさねばと改めて思いました。特にこの震災について今、出来ることといえば、大川小学校跡地に身を置いて感じたこの強い臨場感を皆に伝えることです。今の私にできることは、「皆さんもこの地に立ってみてください」と正直な気持ちでお願いすることです。津波や様々な災害の恐ろしさが言葉にはならないメッセージで伝わってきます。そして、被災者の皆様には、残された人やものを大切にして粘り強く生き抜いていていって欲しいという願いがあります。その姿に寄り添えるよう、ささやかながらも祈りと応援を続けていきたいと思いました。



(執筆担当 菅野・ 写真はおおちゃんと皆です。)