2013/03/18

大川ふるさと祭りのご報告1~経緯~

先日おかげさまで無事終了したサポサポ8から、さかのぼること1週間前の3月2日、
宮城県石巻市大川地区にて「大川ふるさと祭り」が開催されました。
そこに、7名のサポサポメンバーが参加して来ましたのでご報告します。

ただ、お祭りに至る経緯もサポサポとして色濃いものがあり、また
お祭り後も、サポサポにとって感慨深い地を巡ってきましたので、
3部構成になってしまいました。

1、経緯
2、お祭り当日
3、歴代サポサポ支援先巡り

興味のあるところだけご覧頂くので結構ですし、
最初から読んで頂ければ、いろいろと解っていただけるかと思います。
少し長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。

*

【経緯】


始まりは、2012年2月24日~26日に開催された、サポサポ4までさかのぼります。
支援先の一つが「庭JAPAN」という庭師の有志が集まったボランティア団体に決まりました。



当時の支援先紹介パネル。


油絵科出身の長崎さんの所属していた団体で、
支援が決まったと同時に、長崎さんもサポサポメンバーになりました。


その回のサポサポが終了した後、
長崎さんから「現地を見てみない?」という提案がありました。
折りしも、タイミングは、震災から1年を迎える311の直前でした。



当時のブログには、この写真に
残ったメンバーで次の動きについて話し合いました」
というキャプションが。右奥に長崎さんが見えます。

アーティストが東京で出来る事を…をスローガンに集まった私達にも
少しずつ支援の形が変化しているのを感じ始めていた時期でした。
目に見える物資の支援から、就労支援や心のケアへ…
私達は、どこで何をしている人をサポートすればいいのか。


そこで、サポサポメンバーの有志が長崎さんのアテンドにより、
2012年3月10日、サポサポとして初の被災地入りを果たしました。

それが、宮城県石巻市大川の尾崎地区でした。


そこでは、地域の慰霊祭の準備をお手伝いさせていただきました。


0泊2日の強行軍ながら、現実の被災地を身近に感じ、
これからも活動を継続してゆこうという決意に繋がりました。


*


次に、2012年8月に行われたサポサポ6。

大川入りから半年ほどしか経っていないのに、
東京では急速に震災が風化してゆくのを感じていました。


支援先を探していると目に入ったのが、
ふんばろう東日本支援プロジェクト内に新しく立ち上がった
「大川きぼうプロジェクト」でした。


一度訪れた地を支援するのはサポサポメンバー内でも
支援の意識を継続して貰える良いきっかけになるのでは考え、
リーダーの大槻さんに、支援先候補に上げようとしているという旨と
今後の活動予定を伺うメールを出しました。すると数日後、

「大川復興協議会の議長の方と話しました。
昨年の12月に地元の被災者対象でカラオケ大会をしたのですが、
今年は資金の調達が大変なので見送ろうかと考えていたそうで、
それに使わせてもらえればありがたいと話してました。」

という返信が。
サポートする人をサポートするからサポサポなのですが、
大槻さんはいきなり現地の人と私達を繋いだのです。
(後から知ったのですが、大槻さんは大川ご出身の方でした。)


コミュニティ支援というのは私達にも新しい形でした。
メンバーから「カラオケ大会?」という疑問の声も上がりました。
しかし、その後に続いた大槻さんの

「大川きぼうPJの活動の目的のひとつは、
仮設入居者と在宅被災者、身内をなくした人とそうでない人等
被害の大きさでお互いできた溝を埋める手伝いをすることです。
そのひとつとして大川地区の人みんなに参加してもらえるようなイベントを出来たらと思っていました。」

という説明が、サポサポメンバーへの決定的な説得力になりました。



サポサポ6で掲示した支援先紹介パネル。

そこで支援を決めたのですが、
この年末のカラオケ大会が、会場の都合で3月になり、
ドンドン話も大きくなり「大川ふるさと祭り」という大々的なものになりました。

*

そして、2012年8月31日~9月2日に開催されたサポサポ6の当日、
大川きぼうプロジェクトのメンバーが沢山サポサポ会場に来てくれました。


真夏でした。

その時、思わぬ提案を受けたのです。

「3月の大川のお祭りで、サポサポさんもワークショップを受け持ってみない?」

かなり迷いました。
現地に行かなくても出来る事がある、と参加してくれている作家達に、
やはりサポサポでも現地に行かないといけないのかという負い目が生まれるのを危惧したのです。
小さな力でも良しとすることで、結果として大きな支援金を生んでいる成果を実感しているからこその迷いでした。

リーダーの亀井と相談して、支援先担当の斉藤の個人的な活動として始めてみようということになりました。

*


先ず、斉藤が1人、2012年10月に大川きぼうプロジェクトの皆さんと大川に入りました。


仮設の集会所で、スイーツデコのワークショップのお手伝いをさせていただきました。

そこでの経験は、ここでワークショップをやる意味はあるなと思うに足るものでした。


しかし、ここで次なる問題が、


物理的にも心理的にも離れてしまった人たちをお祭りに集める一つの仕掛けとして
お祭りまでに大川地区の複数の仮設や公民館で同じワークショップを巡回開催し、
お祭りの宣伝をしながら、地元の人たちを繋ぐ「のりしろ」になれないかという提案を受けました。


またハードルが上がりました。


1回ワークショップするだけの話では無くなったのです。


斉藤自身も確信が持てないまま、半分だまし討ちのような感じで、
苔玉の先生ができる、影山さんと西村さんを誘って、
2012年11月に、大川地区の多くの方が入居している三反走仮設集会所で
初の苔玉ワークショップを開催しました。


用意した材料が足りなくなるほどの盛況ぶりでした。

そこから、自転車操業のように人を募って大川にワークショップに行きました。

2012年12月22日~23日 池田、影山、竹花、亀井、斉藤(追波川仮設集会所)

2013年1月12日~13日  柳橋、平山、斉藤(入釜谷生活センター)

2013年2月2日~3日    佐藤、石田、西村、城井、斉藤(芦早生活センター、追館生活センター)

2013年2月16日~17日  柳橋、影山、亀井、竹花、林(原公民館、横川公民館)

結果、計12名のサポサポメンバーが大川に足を運び、
7箇所の集会所や公民館で苔玉ワークショップを開催しました。


参加者の方の作品。



参加してくださった地元の皆さんの楽しそうな表情は
何よりも説得力がありました。


毎回ワークショップ後にはお茶っこの時間を持ち、
地元の皆さんとお話ししました。

中には、涙ながらにあの日の経験を話してくださる方もいらっしゃいました。


そして、年を越す頃には、お祭りへ向けての自分達の役割にも迷いがなくなった気がします。



大川きぼうPJリーダーの大槻さんのご意向で、
毎回必ず、初参加のメンバーを中心に
大きな悲劇を生んだ、大川小学校へのお参りと、
津波で壊滅してしまった長面地区とその先の尾崎地区への視察、
また、大川小学校のご遺族である、佐藤敏郎さんのお宅への訪問が行われ、
地元の方との接触の濃さに、サポサポメンバーの意識も深まって行きました。


そして、3月2日の「大川ふるさと祭り」を迎えました。

〜続く〜

(サポサポスタッフ sa)

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