宮城県石巻市大川地区で開催された「大川ふるさと祭り」から一夜明けて3月3日、
お手伝いをしにきたサポサポメンバーも、今日は東京に帰るだけです。
そこで、宮城県内にあるこれまでのサポサポの歴代の支援先を
巡りながら帰ろうということになりました。
先ずは、震災直後の2011年7月にわずか16人で開催された、サポサポ1からの支援先、
石原左知子さんのグループが支援している石巻市小渕浜に行きました。
牡鹿半島の峠の道をうねうね進むと…
海に出たと思うと同時に、瓦礫の山が… |
石原さん達は現在、津波で半壊した旅館を再開させようという
「あたご荘復活プロジェクト」に取り組んでいらっしゃるとの事で、
サポサポ7からも10万円をこのプロジェクトに支援させていただいています。
今回は、その「あたご荘」を目指しました。
工事中の建物をふと覗いたら… |
そこが「あたご荘」でした。 |
工事をしている方に事情を話したら、 中へ入れてくださいました。 |
思っていたよりも、大規模な修復工事に驚きながら 見学するメンバー。 |
奥には、集落が見えます。 |
震災直後から、石原さんたちは孤立化してしまったこの集落を継続して支援され続けています。
サポサポ1の支援金は、この集落の皆さんの為の
工具や、水産用カッパ等支援物資の購入代金となりました。
中にはリーダー亀井に直接お礼のお電話を掛けてきた下さった方も…
今でもお元気でいらっしゃいますよう。
広くて立派な民宿だったことは直ぐに想像できました。 再開を願って。 |
次は、サポサポ7で支援させていただいた「こどもとあゆむネットワーク」さんが
サポサポの支援金を建設費の一部にあててくださった
「女川子育て支援センター」のウッドデッキを目指します。
女川町役場仮設庁舎内にあるとのこと。 |
高台の役場の入口にあった、津波の記録。 高台にも関わらず、この1.95mのところまで… |
役場はこのように平地からかなり高いところに建っています。 どれだけ大きな津波が来たのかわかります。 |
役場のある高台から女川町を見渡す。 横倒しになったビルが見えます。 |
子育てセンターはお休みでした。 |
しかし、裏に回ると。 |
ありました!立派なウッドデッキが。 こちらの建築費用の一部に、サポサポ7の支援金があてられています。 |
感動でしげしげと見つめます。 |
しかし、女川には今だ凄惨な爪あとが残っていました。 さっき役場から見えていた、横倒しになったビル。 |
こちらは横倒しになった交番。 |
言葉も無く、ただただ目に焼き付けて来たのでした。 |
次は最後です。
同じく、サポサポ7で支援させていただいた、「奥松島・野蒜地区復興商店街計画」の建設予定地を目指します。
海沿いの道に松が見えてきます。 |
道の直ぐ脇に大きな看板が。 すぐわかりました! |
奥には小さなプレハブが1つ。 神戸の舞子高校卒業生によって、今は明るい絵が描かれているそうです。 |
向かって右隣には、骨組みだけの家がまだそのままに。 |
奥の崖は崩れています。 |
とても寒い日でした。 しかし、暖かくなる頃には、ここに商店街が! |
今年の5月3日~5月5日にはプレオープンのご予定だそうです。
また開店されたお店を見に行けるといいなと思います。
*
以上、3箇所を巡って、帰路に着きました。
2011年7月からサポサポを始めて、
支援金が現地で実際に使われている様子や、
使われた場所を目にするのは始めてのことでした。
サポサポに協力・支援していただいたみなさんの思いが
こんな風にカタチになっていると思うと、本当に感動しました。
その一方で、サポサポは東京の代官山と表参道という華やかな場所で行われ
会場には沢山の笑顔があふれていますが、
支援先パネルの向こうにある想像を超える厳しい現実と、
それと立ち向かうボランティアのみなさんの懸命な努力の証しを見ながら
私たちが出来ることを更に継続していこうとの決心を固くしました。
「現地に行かなくても出来ること」
「現地に行ってこそ出来ること」
この両方をテーマにサポサポは前進して行きます。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
( 亀井・サポサポスタッフsa )
追伸
これらの訪問活動は個人負担で行われておりサポサポの資金は一切使用しておりません。
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